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東京高等裁判所 昭和36年(行ナ)158号 判決 1963年10月29日

原告 財団法人 安藤研究所

被告 財団法人 小林理学研究所

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一請求の趣旨および原因

原告訴訟代理人は、特許庁が昭和三二年抗告審判第二、三六八号特許権利範囲確認抗告審判事件につき昭和三六年九月二七日した審決を取り消す、訴訟費用は被告の負担とする、との判決を求め、請求の原因として次のとおり主張した。

一、訴外安藤博は、昭和三一年三月五日、特許庁に対し、被告を被請求人として、被告の有する特許第一八一、一九八号の発明は同訴外人の特許第一四五、五三四号の権利範囲に属する、との特許権利範囲確認審判を請求し、右は同年審判第九九号事件として審理され、かつ同年三月九日、右第一四五、五三四号特許権の移転登録がされたことにともなつて、同年四月二日、新権利者たる原告を請求人として手続を続行されたが、昭和三二年一〇月七日、右審判請求を却下する、との審決を受けた。

そこで、原告は、昭和三二年一一月一八日、右審決に対する不服の抗告審判を提起し、同年抗告審判第二、三六八号事件として特許庁の審理を受けたが、昭和三六年九月二七日、同庁は、右抗告審判の請求は成り立たない、との審決をし、その謄本は同年一〇月九日原告に送達された。

二、右抗告審判の審決の理由の要旨は、審判被請求人たる被告が過去において特許第一八一、一九八号を実施したことなく、審判請求人である原告は本件審判を請求するにつきなんらの利害関係がない旨主張したため、初審の審判長は原告に対し、原告の第一四五、五三四号特許権の存続中、被告がその第一八一、一九八号特許を実施した事実を立証すべき旨の補充指令を発したにかゝわらず、原告はなんらの証拠方法を提出しないので、結局被告が原告の第一四五、五三四号特許権の存続中特許第一八一、一九八号を実施した事実を認めるに足る証拠がなく、かゝる場合は、旧特許法第八四条にいう利害関係は否定さるべきである、というのである。

三、しかし、右審決は、次のとおり違法のものであつて、取り消さるべきである。

(一)  まず、審決は、本件のごとき特許権と特許権との間の権利範囲確認審判請求につき必要とされる利害関係に関し、適用法理を誤つたものである。

1 旧特許法第八四条にいう「利害関係人」とは、「当該特許権の有効に存在することによつて私法上または公法上において直接不利益をこうむるべき地位にあるもの」ということができ、その具体的基準としては「広く裁判上、裁判外で権利の牴触、侵害に関する争の生ずる虞のある場合」は、つねに利害関係があるものと解するを相当とすることは、本件抗告審判の審決も、これを説示しているところである。

ところで、併存する特許権において、その内容である発明が、全部的にあるいは部分的に重なり合う関係にある場合には、その限りにおいて発明の独占的利用の権利が侵害されたものというべく、それだけで権利の牴触関係を看取することができるものといわなければならない。このような関係におかれた当該特許権者は、相手方がその権利を実施したと否とにかゝわりなく、すでに予想せらるべき紛争にそなえて権利範囲の確認を求める必要があるのである。

元来、特許権利範囲確認審判は権利の牴触、侵害について現在の、あるいは将来予想せらるべき紛争を解決するため、その前提である権利の技術的内容としての発明の範囲を確定しておくための制度であつて、必ずしも現実の侵害事実の存在を必要としない。(しかるが故に、民事訴訟における確認の利益と異なり、消滅した権利についてもその範囲確認を求めることができるとされる。)

以上の次第で、本件のごとき特許権相互間の権利範囲確認における旧特許法第八四条にいう利害関係の解釈としては、牴触する権利の実施までは必要としないものと解すべきところ、本件審決はこれまでも必要とするものとの解釈のもとに、本件確認審判の利害関係を否定したものであつて、この点において法規の解釈適用を誤つた違法がある。

2 原告の第一四五、五三四号特許権が被告主張のとおり存続期間満了し、その抹消登録をも了していることは、認める。

しかし、特許権と実用新案権との牴触に関する旧特許法第三九条の法理が特許権と特許権との牴触の場合にも類推適用されるとし、さらに本件確認審判の結果、被告の特許第一八一、一九八号が原告の特許第一四五、五三四号の技術的範囲に属する旨の審決が得られるとすれば、原告は、原告の特許権消滅後、被告の右特許に対する関係において、被告の許諾を要しないで、原権利の範囲内で法律上の実施権者たる地位にたつものである。

そして、被告の特許第一八一、一九八号が現に有効に存続中の権利であることは、争がないから、原告が右権利に対する法定実施権者であるかどうかも、当事者間に存する、又は存し得べき現実の法律問題たらざるを得ない。

したがつて、原告が被告の特許権の実施権者であるかどうかを確認するための前提問題として、その権利相互間の権利範囲の確認を求めることは、原告にとつて十分利益のあることと言わねばならない。

3 被告は、特許権相互間には旧特許法第三九条のような特別の保護を要しない、と主張するが、現実に同一又は類似の二つ以上の特許権の併存する場合に、かゝる過誤防止の責は法律的にはむしろ後願の特許権者ないしはかゝる不当の後願に権利を与えた者の側にあるものというべく、したがつて無効審判の請求をしなかつたことの故に先願発明者の特許権消滅後なんらの保護をも与えないことは、法の一目的である衡平の観念に反する。

元来、無効審判制度と併存する特許権者の利益調節とは、無関係な事柄であるのである。

(二)1  仮に百歩を譲り審決の採つた原則的立場が正しいとしても、被告が過去において特許第一八一、一九八号を実施したことはないと主張したからといつて、審判長が原告に対して本件第一四五、五三四号特許権の存続中、被告が第一四五、五三四号特許を実施した事実の立証を催告したこと自体、原告の了解に苦しむところである。

およそ、新規の発明であるとして特許登録を出願するものは、一応かゝる権能を実施する意図を有するものと推認するのが相当であり、不実施の特許の強制実施およびその特許の取消に関する旧特許法第四一条第一、二項ならびに右強制実施権の取消に関する同法第四二条の各規定は、特許権の付与に当つて特許権者が一般的に実施の意思を有すべきことを法が推定しているところから生れたものであると考えざるを得ない。かように特許権の付与が実施を前提とするものであることは、法の精神上当然であつて、これを実施しないということは、むしろ異例のことに属するから、牴触する権利の存在を証明した以上、その不実施の故に利害関係なしと主張するものは、そのものにおいて進んで不実施の事実を立証する責任があるものといわなければならない。

2  原告の特許第一四五、五三四号は、その存続期間を通して訴外日本電気株式会社等のために通常実施権が設定されており、また被告の特許第一八一、一九八号はリオン株式会社(前名小林理研製造株式会社)に実施を許諾したものであるから、たとえ被告がその特許第一八一、一九八号の権利を実施したことの証明がなくとも、これとは全く無関係に広く裁判上、裁判外で権利の牴触、侵害に関する争の生ずる虞のあることは、当然である。これすなわち特許等を対象とする権利範囲確認審判請求が物品を対象とする権利範囲確認請求と区別されるべき点である。

なお、リオン株式会社は特許第一八一、一九八号の権利につき被告から特に明示の実施許諾を得なくとも、これを実施し得る立場にあつたから、被告は包括的にこれが実施を許諾していたものと解すべきである。

被告が過去において、すなわち原告の特許第一四五、五三四号の存続中自らこれを実施していなくとも、他人をしてこれを実施せしめることの多いことは、研究機関としての被告の性格上当然推定し得るところである。

本件審決が、かかる点の審理もなさず、原告が見当違いの立証命令に応じ得なかつたことをもつてその請求を斥けたことは、審判の対象が特定の物品である場合と混同し、かつ挙証責任の分配に関する法理の適用を誤つたもので、この点にも救済し得ない違法が存在するものと考える。

(三)  原告の特許第一四五、五三四号の発明は、圧電気変換子に関するものであり、被告の特許第一八一、一九八号の発明はクリスタルピツクアツプに関するものであつて、後者は前者に包含され、両者はしかも作用効果を同一にするから、同一発明と認めるほかはない。かように、同一発明又は一が他の実施態様の一例として認められるような権利が並存する場合には、一方の権利の消滅にかゝわらず、権利範囲確認審判を求める必要があるものといわなくてはならない。

よつて、本件審決の取消を求める。

第二被告の答弁

被告訴訟代理人は、主文どおりの判決を求め、次のとおり答弁した。

一、原告主張の請求原因事実中、原告主張の特許権につきその主張の審判請求があり、その審決に対する抗告審判においてその主張の審決がされ、その謄本が原告に送達されたまでの経緯およびその審決の内容が原告主張のとおりのものであることは、争わないが、右審決を違法として原告の主張する諸点については、争う。

二、原告の第一四五、五三四号特許権は、昭和三一年三月一〇日存続期間満了により消滅し、同年四月三日に抹消登録をも了しているが、被告は原告の右特許権存続中被告の第一八一、一九八号特許権を実施したことはないのである。

特許または実用新案の権利範囲確認審判は、権利の消滅によつて当然にその必要が消滅するものではなく、権利の消滅後なお権利の牴触、侵害に関する争の生ずるおそれが存する等、特にその必要が認められる限りにおいて、その権利の範囲確認の審判を請求し、またはその審決の取消の訴を提起する利益を失わないと解すべきこと、昭和二八年四月一四日に言渡のあつた東京高等裁判所昭和二四年(行ナ)第二一号事件の判決が、実用新案の権利範囲確認審判について明らかにしたとおりであるが、この理を反面からみれば、本件のように特許権がすでに消滅したものにおいて、かつその存続中に実施されたことのない特許権に対し提起された権利範囲確認審判の請求が不適法として却下され、その審決を不服として提起された抗告審判においても、これを正当とした本件審決には、なんらの誤りがないといわなくてはならない。

原告代理人は本件審決が権利範囲確認審判の中でも、本件のような権利と権利との間の確認審判を他の一般の確認審判と同一にみた点を非難するが、両者が権利範囲確認審判であることは同じで、ただ本件においてはその対象がある幅を有する権利であるというだけである。しかるに前記の必要のあるのは、権利の侵害の争が生ずるおそれが存すること、その他これに準ずる場合のみであつて、本件においてはその必要が認められないのである。したがつて、本件特許権利範囲確認審判請求は、原告がこれを請求するに必要な利害関係がなく、不適法であるといわなくてはならない。

三、原告代理人は、さらに、旧特許法第三九条の場合の実用新案権と似たような特許権があれば、その特許権者の地位を確かめるための確認審判の請求権があるはずである、と主張するので、これについて一言する。

旧特許法では、現行法とちがい、特許権と実用新案権とが牴触する場合、すなわち特許発明と登録実用新案とが、出願公告前の出願で、互に同一である場合に、先後願の理由で後願を拒絶することはないが、実用新案の出願が特許発明の出願日前である場合には、その特許発明は実用新案権者の許諾がなければ実施できないということが、旧特許法第三五条第三項に規定してある。この実用新案権の期間が満了した後、その権利者を保護するのが、旧法第三九条のねらいで、特許権者から逆に押えられないようにするのが、その目的である。これに似た場合を特許権について考えてみると、特許権と特許権とが互に牴触する場合は、旧特許法第八条、第五七条第一項第一号で存在しないか、または先願特許権者の怠慢によつて存在することがあるだけであるから、旧法第三九条のような特別の保護を要しない。したがつて、原告代理人のいうようなことは意味のないことである。

四、被告は研究機関であり、リオン株式会社がその実施機関であることは認める。被告はその実施に必要な事項を研究し、それが終了すれば、リオン株式会社が実施することになつており、特に書面による契約はないが、被告の権利を有する特許発明(本件特許第一八一、一九八号の発明もその中に含まれる)は、研究を終了すれば、その実施はリオン株式会社においてこれを行ない、被告は同会社をその発明の実施権者として認めるのである。

しかし、本件特許第一八一、一九八号の発明について、被告の研究は終了したが、リオン株式会社は右発明を実施しない。

実施権者であつても、たゞその特許発明を実施する権利を有するに過ぎないのであつて、実施権の問題のない場合と同様に、実施権を行使しない場合には、特許発明を実施したとして、すでに消滅している特許権に対し、特に利害関係を有することになるというようなことはない。

まして、被告はリオン株式会社に対し本件特許第一八一、一九八号の実施を特に許諾したという事実はなく、ただ包括的にその実施権を含んだ一切が許諾された関係にあるというに過ぎないのである。

本件確認審判において万一原告の請求が容れられたとしても、原告はたゞ快を叫ぶのみで、被告に対し何の請求をすることもできず、結局何の利益を得ることもできない。このような審判請求人は、審判請求の利害関係人ということができず、その請求は却下されるのが当然である。

本件抗告審判の審決の判断は正当であり、原告の主張は、いずれもその理由がない。

第三証拠<省略>

理由

一、原告主張の特許権につきその主張の特許権利範囲確認審判請求があり、その審決に対する不服の抗告審判においてその主張の審決がされ、その謄本が原告に送達されたまでの経緯および右審決の理由の要旨とするところが原告主張のとおりものであること、ならびに原告がその権利範囲の確認を求める特許第一四五、五三四号の権利が、昭和三一年三月一〇日存続期間満了により消滅し、同年四月三日に抹消登録をも了している事実は、いずれも当事者間に争がない。

二、特許権利範囲の確認審判は、その権利が消滅したことによつて当然にその必要がなくなるものではなく、権利の消滅した後であつても、なお権利の牴触、侵害に関する争の生ずるおそれがある等、特別の必要が認められる場合においては、確認審判請求の利益を失わないものといわなくてはならない。

しかるに、本件において、原告の特許権存続中、その権利範囲確認の対象である被告の特許第一八一、一九八号の権利が実施されたことのある事実については、(原告主張の実施許諾の点は、のちに認定する。)これを認めるに足るなんらの証拠がないから、もはや被告の右権利が原告の特許権と牴触するとか、これを侵害するとかの点で争の生ずるおそれは全くないと考えるのが相当である。

もつとも、被告は研究機関であり、その研究の成果である発明は、包括的に訴外リオン株式会社(前名小林理研製造株式会社)において実施するという関係にあつたことは、被告の自認するところである。しかし、右のような関係をもつて実施許諾とよび得るかどうかは別問題として、単に右のような関係があつたというだけで、被告の特許発明が原告の権利の消滅するまで現実に実施されたことがないとすれば、一応原告の権利との間に牴触、侵害に関する争が生ずるおそれはないものと推測すべく、しかも右訴外会社においても被告の特許発明を実施したことのある事実を認むべきなんらの証拠がない。そして、単に前記のような一般的関係があつたという事実に加え、さらに右のような争の生ずる原因となるべき何らかの事実があつたことは、これを認めることができない。

三、原告は併存する特許権において、その内容である発明が全部的または部分的に重なり合う関係にある場合には、その限りにおいて発明の独占的利用の権利は侵害されたものというべきであるから、本件のごとき特許権相互間の権利範囲確認審判請求に必要とされる利害関係としては、牴触する権利の実施までは必要としない、と主張する。

しかし、特許権利範囲確認審判における対象が他の特許権として示されている場合であつても、他の一般の確認審判に比し、その確認の対象が個別的の物または方法である代りに、他の特許権の権利範囲として比較的一般的に規定された物または方法であるのちがいがあるだけであつて、被請求人がこれを実施した事実がない以上、請求人がその権利範囲の確認を求める特許権との間に牴触あるいは侵害に関する争の生ずるおそれがないことは、両者に相異がないものといわなくてはならない。

四、原告は、もし被告の特許権が原告の特許権の権利範囲に属する旨の審決が得られるとすれば、旧特許法第三九条の類推により、原告の特許権が存続期間満了により消滅した後において、原告は被告の特許権につき実施権を得るから、本件確認審判を請求するにつき利害関係を有する、と主張する。しかし、旧法第三九条の規定は、旧法において、特許出願は、その前または同日の出願にかゝり、これと牴触する実用新案権の存在することによつて、拒絶されなかつたので(現行特許法第三九条第一ないし第四項対照)、そのような実用新案権者を保護するために、その実用新案権が期間満了により消滅した後において、前記特許権につき原実用新案権の範囲内で実施権を有することを定めたものであつて、旧特許法第八条により、最先の出願者に限り特許することになつている特許権と特許権との間については、これを類推適用する必要はない、というべく、原告の前記主張は、その前提が認められないから、採用することができない。

また、自己の権利と牴触する権利の無効の主張は、無効確認審判によるべきで、特に権利範囲確認審判を経る必要がなく、その他原告において本件確認審判を求めるにつき旧法第八四条第三項の利害関係人たる事由のあることを認めることができない。

五、原告は、また、本件初審の審判長が原告に対し、原告の特許権の存続中、被告が被告の特許を実施した事実を立証すべきことを指令したのは違法の措置である、と主張するが、特許権者または実施権者は、当該特許を実施しているものと推定することは相当でなく(実施の意図を有するとの推定のみでは、確認審判の利害関係を認定するのに十分でない。)、その立証責任は請求人たる原告にあるものというべきであるばかりでなく、通常、実施しなかつたという消極的事実を立証することは、実施の事実を証明するに比し困難であると認むべきであるから、右指令をもつて必ずしも違法の措置であるということができない。

六、原告をもつて本件確認審判を求めるにつき利害関係人であることを認め得ない、とした本件審決は正当であり、これを取り消すべきなんらの違法のあることを認めることができない。

よつて、原告の本訴請求を理由なきものとし、訴訟費用の負担につき行政事件訴訟法第七条、民事訴訟法第八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 福島逸雄 入山実 荒木秀一)

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